高齢社会の先輩国には、「寝たきり老人」に対応する日常語がない。日本でなら寝たきりになっているような人々が、ここでは、車いすに乗り、歩行器を使って「歩いて」いた――1985年敬老の日の朝日新聞一面に載った大熊由紀子さん(当時朝日新聞論説委員)の『座標』は、当時の医療・福祉界に一石を投じました。「寝たきりは寝かせきり」、この言葉は当初数々の反発を受けながらも確実に市民権を得てゆき、やがて国の政策にまで影響を与えるまでに。 今回は、日本のユニットケア推進の第一人者のひとりで、真に豊かな社会の実現に向けて今なお挑戦し続けていらっしゃる、元大阪大学人間科学部教授(現:国際医療福祉大学大学院教授)の大熊由紀子さんに、日本が北欧から学ぶものなどについてお話を伺いました。
―― 初めて、「高齢社会の先輩国」である北欧を訪問されたのはいつですか?1972年頃ですね。当時朝日新聞の科学部記者だった私は、医療制度を取材するため、初めてスウェーデンを訪れました。さすが情報公開の国。取材の先々で、資料を山のようにいただきました。そして、ある資料の中に何度も出てくる、一つの言葉が心にひっかかったのです。「ノーマリゼーション」です。今でこそよく知られるこの言葉ですが、当時の日本ではほとんど目にすることはありませんでした。このノーマリゼーションという思想が、北欧の、そして世界の福祉の流れを変革しつつあることに、当時の私はまだ気付きませんでした。論説委員になった1985年の夏、私は再び北欧を目ざしました。海外の「寝たきり老人」事情を調査するためです。そして、この「ノーマリゼーション」という言葉に再会したのです。それは、ストックホルム市社会局の女性に話を聞いたときのこと。彼女は次のような興味深い話を聞かせてくれました。“ノーマリゼーションが重視される前は、看護や介護の必要度に応じて、高齢者を自宅から施設へ、施設から病院へと移していた。1人当たりの生活空間は、移動するごとに狭くなる。このような環境の変化は、高齢者の心身に大きな負担を与えてしまう。そこで、高齢者にはできるかぎり住み慣れた自宅に居続けてもらい、お世話が必要ならこちらから出向く。つまり、高齢者を移すのではなく、サービスの量を増やしていくという仕組みに、今変えている最中なのだ”と。この考え方に私はショックを受けました。日本の福祉政策の方向は、福祉先進国スウェーデンではアブノーマルだと。
―― 最初にスウェーデンを訪問された際、「ハンディキャッパデ」というスウェーデン語にも感銘を受けられたとか。生まれて初めての海外取材で、大きな荷物を重そうに引いている私に向かって、スウェーデンの人はこう言いました。「今日、ユキーコはハンディキャッパデだから」。今日の私はハンディキャッパデ? 同じ語源を持つ「ハンディキャップ」という言葉も、当時の日本ではまだ日常的に使われていませんでした。最初は戸惑ったものの、やがてその意味を理解した時には、頭の中の霧がすっきり晴れたように感じました。つまり、車いすに乗った人や盲目の人など、身体や知的発達に障害を持った人もそうですが、例えばその時の私のように大きな荷物を抱えている人や乳母車を押している人、妊婦さんなども同じように「ハンディキャッパデ」と呼ばれるのです。誰でもハンディキャッパデになり得るという考え方が、誰もが暮らしやすい社会の根底に流れているのです。日本語の「障害者」の使われ方とは確実に異なる言葉の使い方に、目から鱗が落ちたようでした。
―― スウェーデンの高齢者ケアについて、日本との違いを感じられる点はどこですか?スウェーデンの長期介護施設やグループホームを訪れてまず驚くのは、そこに入居されている高齢者が、皆さんそれぞれにおしゃれをしていて、実にエレガントなこと。華やかなドレスに美しくセットされた髪、イヤリング、口紅、マニキュア…。そして、車いすに乗るなどして、ほとんどの人がベッドから離れています。部屋はもちろん個室です。各人の部屋には使い慣れた家具が持ち込まれ、家族の写真や思い出の品々がたくさん飾ってあります。そしてなにより、そこに流れている、ゆったりとした時間。特にしたいことがなければ、いつまでもぼ~っと寛いでいられる空気がそこには満ちています。介護をする人たちも、決してばたばた走ったりはしません。彼らは、何かにつけてろうそくにあかりを灯し、高齢者を交えてティータイムを始めるの(笑)。
―― スウェーデンの排泄ケアについてはいかがですか?日本の病院や施設ではパッドを何重にもしているために、ハチのようにお尻のあたりが膨らんだ高齢者の姿を見かけます。昔は、パッドをしているのだから仕方ないと思っていました。しかし、スウェーデンの高齢者に出会って考えが変わりました。お尻は、実にすっきりとしていて、パッドをしているのかどうか、外見からはわかりません。本誌がスウェーデン生まれのパッド会社のニュースレターだから言うわけではありません。スウェーデンのパッドは確かに質が高く、排泄ケアのシステム自体も大変優れているように思います。日本では少し前まで、パッドの交換回数が多いほどよいケアだという考え方がありました。しかし、福祉で先をゆくスウェーデンの排泄ケアでは、失禁する方ひとりひとりに対して随時交換で、交換回数は1日平均3~4回程度。睡眠を妨げないように、夜間の交換は基本的には行われません。ぬれても朝起きるまでドライ感を保てる、優れたパッドがあるからこそ、できるケアです。
―― スウェーデンのケアを日本で実践するには、人手が足りない。だから、したくてもできないという話をよく聞きます。ここによい例があります。日本の医療の現場で使われる言葉「抑制」は、少し前まで安全対策上やむを得ない処置とされていました。しかし、これに疑問を持った東京・八王子の上川病院の理事長が、「抑制」の代わりに「縛る」という言葉を看護婦記録に書くように指示したら、効果はてきめん。看護婦たちは、縛らなくてもよい介護技術をどんどん生み出していったといいます。「抑制しました」と書くのと、「縛りました」と書くのとでは、心への響き方が違ってきます。言葉の力は大きいですね。そして、この事例を知った福岡の病院で抑制廃止に取り組んだところ、同様の人手で縛らない介護を実現することができました。 つまり、ものの見方次第で、物事はよい方向に動いていく、動かすことができるということです。もちろん、人手は多いほどよいに決まっています。しかし、人手が足りないことを理由に前に進んでいかないのは正しいこととは思えません。日本人が世界に誇れるもの、それは「知恵と工夫」ではないでしょうか。―― ひとりひとりの意識の変革はもちろん必要ですが、地域あげての変革への取り組みも、豊かな高齢社会の実現には不可欠ですね。高齢者や障害をもつ人のための施設が町の中にさりげなく溶け込んでおり、人々が交流している。日本がモデルにしたいような町が、スウェーデンには至るところに存在します。「敬老の町」を実現した秋田県鷹巣町のように、日本にも町をあげて豊かな高齢社会の実現に向けて取り組んでいる自治体があります。でも残念なことに、その数は多いとはいえません。皆さんが住む町は、果たして敬老の町でしょうか。地域の人たちは、そう思っているでしょうか。私は、町の老後の安心度をはかる「100のチェックポイント」を作成しました。そのうちの高齢者施設・病院に関する項目を下記に抜粋します(著書『福祉が変わる医療が変わる──日本を変えようとした70の社説+α』より)。地域の人々は、このような視点で、自分たちの町の施設をチェックするのです。
―― 最後に、高齢者ケアに携わっている皆さんにメッセージをお願いします。 世の中いろいろな仕事がある中で、高齢者ケアに関わる仕事ほど、真に必要とされる、すばらしい仕事はありません。よりよいケアを行うためには、人間というものを知らなければなりません。この高齢者はこれまでどのような人生を送ってこられたのか、その人がもっとも輝くのはどのような時か、輝いてもらうためには何をすればよいのか。高齢者の長い人生をすべて理解した上で、その高齢者を尊敬し、その方の明るく楽しい、快適な毎日を支えていくというのは、大変高度な仕事です。それにもかかわらず、介護に携わる方々への待遇は決して十分なものとはいえません。高齢者ケアに携わる人たちを大切にする社会こそが、真に豊かな社会だと私は考えています。 ―― 日本がスウェーデンから学ぶことは、まだまだ多そうですね。 スウェーデンを含む北欧には、これからも足しげく通いたいと思っています。1年行かないだけで、事情は大きく変わっているのですから。信じられないことですが、福祉で世界をリードする北欧でさえ、豊かな高齢社会に向けて、いまだ前進を続けているのです。
大熊さんの著書より介護施設を訪ねた際に確認したいポイントを抜粋して掲載します。
引用:TENAKONTAKT(TENAコンタクト)17号