広がる緑の田園、点在するこけ桃色の屋根の家々──“スウェーデン人の心の故郷”と称されるのも頷けます。「こんな方がいらっしゃいます。重度の認知症で言葉をすべて忘れてしまっているのに、国歌が流れてくると、急に思い出したようにメロディーにあわせて歌おうとする──頭の中のどこかに人生の記憶が保管されていて、何かのきっかけでその保管庫の重い扉が少し開くのでしょう」。アン・ソフィー・オドゥワイヤーさんは、スウェーデン・ヨーテボリ市の南、ビルダールにあるウグレダール・グループホームで働く、准看護師兼失禁症オンブズパーソンです。ウグレダールは、梟(ふくろう)の谷を意味します。ここウグレダールでは現在、12人の認知性高齢者と8人のスタッフが共に生活をしています。何人かは重度の認知症を患っています。開設されたのは5年前。もとは、幾つかの棟の中に長い廊下と多くの小さな部屋を有する伝統的な高齢者介護施設でした。グループホームが認知性患者に適したケアの場として定着してきたことを背景に、グループホームに建て替えられました。「入居者の皆さんには、自分がそれまで使っていた家具や洋服、家族の写真などを持ち込んでもらっています。特に認知症の方は、昔から慣れ親しんだものに囲まれて暮らすことが大切です。変化の多くは、脅威として受け止められるのです」
ウグレダールに住む重度の認知症の方は、たとえば食事が目の前に運ばれてきても、どのように食べてよいのかすっかり忘れてしまっています。排泄に関しても同様で、身体が発する"そろそろお手洗いに立つ時間ですよ"という信号を読み取ることができません。たとえ信号を読み取れたとしても、またこのグループホームに何年も住んでいるとしても、トイレへひとりで行くことができません。アン・ソフィーさん含むスタッフたちは、入居者の身体が発する信号を正確に読み取るために、まず彼らをよく観察することを学びました。落ち着きがなくなり、体を動かし始めれば、その多くは排泄のサイン。そのサインに気づいたスタッフは、その方をすぐにトイレに連れていきます。「失禁症でない2人を除いて入居者は皆、失禁パッドを使用しています。また、私たちはトイレ誘導に大変力を入れており、1日に4~5回はトイレにお連れしています。排泄はできる限りトイレで行うべきです。これは、入居者の皆さんに対する敬意、そして皆さんの生活の質に関わる大切な問題です。トイレ誘導を怠れば、たとえばシャワーを浴びたり、髪を切ったりといった、その他の生きていく上で当たり前の作業も怠るようになってしまいます」
ウグレダールのスタッフたちは何でもします。食事を作ったり、掃除をしたり、唄を歌ったり、洗濯をしたり、アイロンをかけたり、パーティーを計画したり…。そして、そのほとんどの作業を入居者と一緒に行います。「ここは彼らの家で、彼らはできる限り普通の生活に近い生活を送る権利があります。遠足やレストランに連れ出すことも大切だと考えています。レストランなどに出かけると、彼らはちゃんとテーブルについて、食事も礼儀正しくとります。コーヒーカップを持ちあげる時など、小指をちょっと立てたりするんですよ」他の多くのグループホームと同様に、ウグレダールも大きな共同キッチンを一つ備えています。入居者とスタッフはそこで一緒に食事を作ります。キッチンは、ほとんどの一般家庭と同じように、住居の心臓部になっているのです。ご飯を炊いたり、野菜を切ったり、お茶を入れたりといった、ささやかだけれど、それまでの日常生活で数えられないほど繰り返してきたであろう作業を行うことで、入居者は安心感を得ることができます。「さまざまな音や匂いを伴うキッチンで過ごした経験、これは認知症の方がもっとも記憶していることのひとつのようです。私たちは、アットホームなキッチンで日常の作業を入居者の皆さんと共に行うことで、皆さんの記憶の底に眠る心象をできるだけ呼び起こそうと努力しているのです」
ウグレダールは、新しいアイディアでいっぱいのグループホームです。物事の中心は常に、入居されている高齢者の皆さんです。 「当初経営者側から、“ここでは日課というものを作らない”という方針が明確にされました。慣習にとらわれず、新しいアイディアを試す、斬新でモダンな認知性高齢者のためのグループホームを目指したのです。しかし、私たちスタッフはすぐに、日課というものが特に認知症の方々のためには必要だ、ということを認識しました。どう食事をとるか、どこにトイレがあるかといったことが分からなくなってしまった時、たとえば朝規則正しく起床する、起床後には顔を洗う、食事の後には歯を磨くといった日常の習慣は、大きな意味を持ってきます。認知症の方々自身が、積極的に自分の衛生や健康に関わることもとても大切です。必要な日課を規則正しくこなすこと、それは生活の質に関わる大切な問題なのです」また、ウグレダールのスタッフたちは、開設すぐに入居者とその家族のために、盛大なパーティーを催しました。「このアイディアは大成功でした。皆で集まって、和やかに、賑やかに楽しみました。しかし私たちは、家族の方々同士が入居者抜きで交流をもつ機会も別途必要だということに気づきました。そこで、家族だけのもうひとつのパーティー、ファミリーパーティーを計画。これも大変好評です。認知症の高齢者を家族にもつ人たちだからこそ理解、共有できることはたくさんあります。全員がほぼ同じ問題を抱えているといっても過言ではありません。皆さん、心を開いてさまざまな問題を話し合っていらっしゃいますよ」
「私たちは隣人に敬意を表さなければなりません。隣人が認知症であっても同じことです。すべての人が、私たち自身がこう扱ってほしいと望むことと同じように扱われなければなりません。まるで牧師さんみたいですね。でも、肌の色、性別、能力などとは関係なく、すべての人に敬意を示すことは本当に大切なことなのです。ここに住む人たちも、金曜の夜になればワインを楽しんだり、常にきれいにアイロンをかけた洋服を着ていたり、天気のよい日にはピクニックに出掛けたり…。この普通の生活を提供すること、これがグループホームで働く私たちの仕事です」アン・ソフィーさんは笑顔でこう結びました。
グループホームの形態は、スウェーデン各地で異なります。個室の意義が強調される場合もあれば、共有の場の重要性が強調される場合もあります。一般のアパートと同様に、高い住居基準を備えた個室を持つグループホームも増加しています。反対に、基準に満たないグループホームも見られ、その場合はナーシングホームなどと統合されているケースが多いのが現状です。様々なバリエーションがあるという点に、スウェーデンの高齢者住居や介護の特徴があります。今回紹介したウグレダールも、そうした多様な例のひとつです。