住み慣れた我が家で最後まで自分らしく生きていきたい、多くの人々はこう願っていることでしょう。施設で暮らす高齢者の方々も同じです。では、自宅で暮らしているような環境を施設で提供するには、何が必要なのでしょうか。 いま多くの高齢者施設が、高齢者の視点に立ったケアの新たな方向性を模索しています。高齢者本位のケアの姿を求めて、福祉先進国スウェーデンの高齢者施設「ヴィンテルトゥレンス」を訪ねました。
「ようこそ私たちのホームへ。何でも聞いてちょうだいね。といっても、特別なことは何もしていないのだけれど」
美しく理知的な顔に温かい笑みを満面に浮かべて迎えてくれたのは、スウェーデン・ストックホルム郊外に立つ高齢者施設(特別住宅)「ヴィンテルトゥレンス」のマネージャー、マリー・ターネさん。1982年に開設されたここヴィンテルトゥレンスには現在、地域の高齢者約200名が入居し、自分らしい豊かな毎日を送っています。同じ敷地内には、公園や地域の子供たちが通う学校が併設されており、子供たちや地域の大人たちが敷地内を自由に行き来する姿が見られます。
「ここでの生活は、それぞれの高齢者がこれまで送ってこられた生活、その延長線上になければなりません。より自由に、より豊かに、より自分らしく。そうした環境を提供するのが私たちの役目です」
ヴィンテルトゥレンスでは、入居者を1ユニット9~10名のグループに分けてケアをする「ユニットケア」を行なっています。1ユニットに対しスタッフは5~6名、うち1名は看護師です。
「入居者1~2名に1名のスタッフを割り当て、担当入居者のケアすべてに責任をもたせています。より質の高いケアを提供するためには、私たち自身の意識を常に新たなものにしていくことが必要です。その意味で、個別ケアはゴールのない目標だと言えるかもしれません」
スウェーデンの高齢者ケアは、医療を県が、ケアをコミューン(市町村)が責任をもちます。この地域も例外ではありません。自宅での生活が困難になった高齢者は、まずコミューンでのアセスメント(事前調査・評価)を受け、コミューンの推薦でヴィンテルトゥレンスにやってきます。ヴィンテルトゥレンスでは高齢者の状態別にユニットが構成されており、どのユニットに入るかということもコミューンが決定します。
「認知症の方は認知症のユニットに集められます。ただし、入居当時はそうでなくてもここで生活している間に痴呆症になった方は、そのまま同じユニットで生活していただきます。高齢者にとって生活する場が変わるのは、想像以上に大変なことですから」
昼食の時間になりました。ユニットごとに、システムキッチンつきの広いダイニングルームが設置されています。
「食事の時間は決まっているのですが、皆といっしょに食事をとることを強制したりはしません。入居者のご希望に応じて、部屋へ食事を運んだり、食事を温めなおしてお好きな時間にお出ししたり、柔軟に対応するようにしています。食事は毎日の生活の大きな楽しみのひとつですから」
ヴィンテルトゥレンスの1階がレストランになっており、朝食以外の食事はここから運ばれてきます。
「ここのレストランは地域の人々にも開放されていて、安くておいしいと評判です。施設用の食事は選ぶ喜びを感じてもらうために、2種類のメニューをご用意しています。事前に翌1週間分の献立を書いた用紙を入居者に配り、どちらのメニューを希望するかチェックしてもらいます。もちろん、歯のない方にはすりつぶしたものを、また毎日マッシュポテトを食べたいという方には特別に用意してもらったり、より快適に楽しんで食事をしていただける工夫をしています」
今日の昼食は、ポテトサラダに手作りソーセージ、パン、そしてデザートにフルーツムース。家族など訪問者が入居者の食事内容を一目で分かるように、壁のホワイトボードには今日のメニューがペンで書かれています。
「このダイニングルームのキッチンは、お茶の時間などに活躍します。入居者の方が自分で何かを作るということはほとんどありませんが、昨日もご家族の方がここでケーキを焼いて入居者といっしょに召し上がっていらっしゃいましたよ」
ゆっくりとした昼食が終わると、ひとりの高齢者が自分の部屋へ招待してくれました。ヴィンテルトゥレンスは全室個室。ノックして部屋に入ると、まずあまりの広さに驚かされます。1部屋35~40㎡という広さで、それぞれの部屋にシャワーつきの広いトイレルームが設置されています。
部屋を飾る調度品は入居者がそれまで自宅で使っていたもの。カーテンや壁紙、ベッドカバーなどもご自分たちの好みで選ばれたものです。ベッドサイドや棚は、たくさんの家族の写真で飾られています。「これが私の自慢の孫たちですよ。これは夏に子供たち家族と山荘で過ごしたときの写真で…」。まるで自宅に招待されているような気分になります。
ベッドの上の天井には、高齢者の身体の移動をサポートする補助器具が取り付けられています。
「私たちがベッドに入るのは、眠い時や体調がすぐれない時だけですよね。高齢者だって同じ。日中はベッドの中になんていたくないのです。とはいっても、スタッフが毎回高齢者の体重を支えて車いすや歩行器に移動させていたのでは、スタッフの腰が悪くなってしまいます。機械ができることは機械に頼る。ケアを提供する私たちにとっても、楽しく過ごせる職場でなければね」
とターネさん。
ヴィンテルトゥレンスに入居している高齢者のほとんどが失禁を患っています。おしゃれな洋服に身を包んだ外見からは分かりませんが、入居者はそれぞれ、自分の体型や症状に合ったパッドを着用しています。
「排泄ケアは人間の尊厳に関わる大切なケア。もっとも慎重に取り組まねばなりません。その方にあったパッドが選択され、パッド交換がその方の生活のリズムを妨げていないか、私たちスタッフは常に見守る必要があります」
ヴィンテルトゥレンスの場合、入居者がどのパッドをどのように着用するのがベストかということはコミューンが決めています。入居前に、コミューンのケア専門家がひとりひとりと面接し、排尿量や排泄パターンを調べ、分析し、適切なパッド、交換時間などを決定します。
「私たちはコミューンからもらう処方箋に基づいて排泄ケアを行うわけですが、入居後も定期的に排尿パターンなどを確認しています。パッドの交換回数は1日平均3~4回程度。起床後と就寝前にそれぞれ1回、日中はその方の排泄パターンに応じて1~2回」
ヴィンテルトゥレンスでは、トイレ誘導にも力を入れています。
「そろそろかなと思う時間に、声をかけてトイレにお連れします。必要であればトイレルームの中で衣服を脱ぐのを手伝い、トイレの便器に座ってもらうと、私たちは一旦外に出てドアを閉めます。排泄が終わったらアラームで知らせてくださるので、合図があったらまたノックして中に入り、パッド交換や衣類の着用を手伝います」
スタッフたちが日々のケアの拠り所としているもの、それはひとつの分厚いファイルです。
「入居者のすべての情報がここにファイリングしてあります。ご本人のこと、ご家族のこと、排泄、食事、趣味など、その方の毎日の生活や人生に関するすべての情報がここにあります。新しく発見したことや変化したことがあれば、私たちはこのファイルの中に記録していきます。スタッフはもちろん、ご本人、ご家族の方、すべてがいつでもすぐに見られるように、部屋の入り口の棚に置いてあります。その方のことを深く知らないと、その方本位のケアを提供することはできませんから」
入居者主体のケアが実践されているヴィンテルトゥレンス。最後に、ケアを行う上で常に心掛けていることは何か聞いてみました。
「答えはシンプル。個人を尊重することです。スウェーデンでは昔、痴呆症になり自分を表現することができなくなってしまった高齢者のことを蔑むような言葉がありました。大人が老いて子供に戻るというような見方があったんですね。でも決してそうではなく、実際行動が子供っぽかったりしても、さまざまな悲しみ、苦労、幸せを経験し、乗り越えてきた、人生の長いバッググラウンドをどの方ももっておられます。彼らは私たちにとって、尊敬すべき人生の先輩なのです」
ターネさんは最後に、凛とした表情でこう締めくくりました。
引用:TENAKONTAKT(TENAコンタクト)18号